2010/09/20(月) 20:21 - シドニー在住 組 ランブル(外間)綾子 (女)
わあー、ハーバーブリッジ。すごいですね。ライトアップがすてきです。
橋の向こうにルナパークから見えるので、これはきっとThe Rocksから撮ったんですね。
知ってますか? ハーバーブリッジの中央(下の方)に山口組の紋章(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%B5%84)とまったく同じマークがついているって?今度来たときに確かめてください。きっとハーバーブリッジと山口組にはなんの関連性もないと思いますけど。こんど写真を撮る機会があればとってアップしますね。
私がどうして写真に進んだのか。
映画が作りたかったんです。琉大の映研の人たちと交流があってね。もう名前忘れちゃったけれど、外国のある監督は写真の道から映画の世界に入っていたので、ひとつひとつのカットがすごくきれいなんだって聴いたのがものすごく印象に残っていて、そういう映画をとれたらいいなと思ったんです。
じゃ、なんで映画なのか。当時、人の心に訴えかけるものって、映画というメディアがいちばん最適だと感じていたんです。
まさおさん、覚えているかどうかわかりませんが、わたし高校2年生のときにアメリカに1年間留学するつもりででかけて、脳脊髄膜炎にかかって4日間意識不明になって、回復してすぐに、途中で帰ってきたんです。そのとき、みなさんがカンパとか集めてくださって、自分ではそんな大事になっているとはしらなくって、とっても驚いて、事の大きさに圧倒されてしばらくうまく物事が考えられませんでした。
この場をかりて、あらためてそのときのお礼を申し上げたいです。あのとき、いろいろ心配してくださった方々、カンパに協力してくださった方々に心から感謝申し上げます。
もう、なんだか恩返ししたいという気持ちがいっぱいでね、私の命を救ってくれた医学に貢献できたらいいなと、100%文系の私が、高3のとき理数系のクラスに入れてもらって、しばらくがんばったんです。やはりだめでした。私はどう転んでも理数系の人間ではなかったんです。とほほ。
あ、私いま気づいたけれど、卒業はじつは43期なんだ。留学した分をうめるために一学年下と一緒になったから。
知ってる子のお父さんがお医者さんをしてて、私は人のためになることをしたいという思いで医者になりたいんですが、と話を聞きに行ったのね。そしたら、「もし、君が人の命を救いたいと思って医者になりたいのなら、よく考えた方がいいよ。医者というのは修理屋みたいなもんだ。壊れたところを一時的に直して送り出す。でも、たいていまた似たような問題で戻ってくる。人の命はなかなか救えないよ」そのお父さん、多少のお酒が入っていたせいもあるかもしれないけれど、私その言葉にびっくりしました。
その後、病理学を学んでいる人と話したときに、「私は病気を直したいと思って勉強しているわけじゃないのよ。病気に興味があるの」だって。
わたし考えこんじゃいましたよね。たとえ私が理数系の人間だとしても、この方面の道に進んで果たして私の願っている事が実現できるのだろうかと思いました。まあ、たまたまそのとき話を聞いた方達の巡り合わせが偏っていたともいえるんですが。
そんな感じで、高校3年のときは、いろいろ路頭に迷っているときでした。自分がホントウに何をしたいのかわからない時期でね。
そのとき私の心を打ったものが、映画であり、写真、その他もろもろのビジュアルアーツでした。とにかく東京に出たかったし、写真を学んでみたいと思った。それで、写真学校ですよ。はい。