2006/08/27(日) 01:14 - シーサー 組 (´・э・`)ちょっちゅ (女)
「今日いきなり母ちゃんから電話が来て、あるドラマの録画を頼まれました。最後の
ナイチンゲール、ひめゆり部隊と同じ戦火を生きた少女の記録と言うドラマです。その
中で、覚えてる?やんばるのおばーの家が使われているんだよ!なつかしいでしょ?
今度帰沖の時、我が家で見てね!」
やんばるのおばーの家・・・
陸の孤島の名に相応しく、私が子供の頃迄はおよそ文明生活から隔絶され
まるで「この世の不便」を全て兼ね備えたような小さな家だった
今年78歳になる母が昔を思い出し、私に語った事がある
母が小学生の時から結婚して那覇に移るまで、戦争で祖父を亡くし
妹3人と一緒に祖母を支えた家である
やんばるの山の中、道路は舗装されているはずも無く、獣道を歩き学校と家を
往復したそうだが、何と言っても一番辛かったのが麓まで水を汲みに
片道約40分間を2往復し、バケツで水を運んだ事だそうである
学校へ行く前と帰ってから・・・
幼い妹の手を引きながら、肩に乗せた棒の両端のバケツが時々バランスを
くずし、転ぶ・・・バケツをひっくり返し水はこぼれ・・・
あと数分で家にたどり着くと思い、喜んだのもつかの間、再度、水を汲みに
麓まで行かねばならなかった事も一度や二度ではなく、悔しいやら情けない
やらで・・・泣きながら何度も水を運んだそうである・・・
当然、学校は遅刻する、だが、言い訳は許されず
「精神がたるんでる」とよく怒られたそうだ
水を届けた時の祖母の嬉しそうな顔を想像しながら、それを頼みにひたすら
早朝と夜の二回の水運び・・・
戦争で祖父を亡くし、祖母と妹3人の女だけの家
当時、男のいない家は様々な思いをさせられたそうである
不当な扱いを受けないため、母は男手が必要な村の集まりや
労働奉仕に一家の代表で「男」として働いた
母は言う
「そのおかげで足腰は強くなるし、男勝りで気も強くなった」
話を聞きながら心の中でつぶやく
「そうじゃないと生きていけない時代だったんだよね・・・」
逞しく強い女性揃いだった沖縄女性の血を受け継ぐ私達
昨今の軟弱な母親を見て
「もっと逞しく頼もしい母になれ」と祈らずにはいられない
この話には続きがある
又、今度・・・