沖縄県立首里高等学校 4期 掲示板
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養秀同窓生掲示板の縦断の旅の三回目に入って、第6期生の欄まできたいま、昨日、友人と会って、親友「野崎真昭君の逝去」を知らされた。同時に波里君も新年早々、逝ったという。絶句。二人とも、戦後新生首里高校の4期生として、共に青春を謳歌した「クビチリドゥシ(刎頚の友)」である。一中の残骸に設けられた仮設教室で、雨を気にしながら物理・化学・国語・算数・英語など、細々と学んだ高校時代。余った時間は、東側(現・校舎の位置)のグラウンドで、全校生を集めての「応援歌練習」。いろいろ、共に爆発させたエネルギーだったが、その力も果てたのか、両君とも逝ってしまった。ここで、いま、この欄に当時の我々首里高生の生きざま、心意気を書き連ねたいが、今はただ、黙して、二人の冥福を祈ろう。合掌。
小生、「定年からの人生設計」の話で、いつも前もって話すのは、「なぜ、沖縄は全国一の長寿県だった(!)のか」という事情についてです。①終戦後、手がけた疾病対策。一蓮托生の米軍が、まず伝染病対策を進めたこと。フェンスを越えて軍人や家族にも伝搬するマラリア・フィラリア、性病、日本脳炎、など、致死的な感染症を対策したこと。その頃青壮年だったウチナンチュが、その後長寿県沖縄を支え続けた。②ウチナンチュの伝来の合理的な食習慣。粗衣粗食の時代から摂りつづけた野菜食中心の家庭料理、シチビシチビ(節日)に、思い切って食べる豚肉と魚料理。豆腐の常用。③温暖な気候:月平均気温が最低(1~2月)16度という亜熱帯沖縄の温暖な気温。雪に閉じ込められない開放的な気候。④温雅な精神風土;年寄を尊重し、隣人を見捨てないチムグクルの世界。これらがグルになって沖縄の長寿に作用し、保ってきた。そのことを先ずは説明して、本論に入ることにしています。
「それはないよ。入学試験に合格しただけでは、一中生とはいえん。ちゃんと入学式を済ませて、海邦養秀の息吹を浴びて、”一中生われら国士たるを期す”と、魂を入れなおして、身も心も真の一中生にならんと、一中生とは認められん!」と、「少なくとも、”最後の一中生”は、昭和19年入学のわれわれまでだな」と、突き放すと、「それを、なんとか、仏心で、認めて頂戴”」と、ビールを注いで懇願する一年後輩の同僚に、「どうしてもというなら、君たちには”幻の一中生”という特別の称号を与えよう。その代り、先輩には、その都度せっせと、ビールを注ぐこと」。そこで、昭和19年を挟んで、爆笑のうちに、会は盛り上がる。ここで、「最後の・・」とか「幻の・・」とかに、こだわっていてもしようがない。小生が訴えたいのは、文中にある「国士たるを期す」というフレーズである。一中生みんなが、誇りを胸に歌った逍遥歌にある「国士」という二字に注目してほしい。まず、自分を確立し、家族を守り、それだけではなく、地域社会~国にも思いをいたして、貢献する、そのような人物を広い意味で「国士」と、戦後、考えるようになった。戦前は、国から人民まで縦一直線の「公」だったが、いま、横一直線の「公」つまり、身近な地域社会が、われわれ人民の「尽くすべき相手」だと、考えるのです。さて、その意味で、前回、登場してもらった吉嶺全一という四期生のことだが、激烈な沖縄戦を生き延びて、いま、彼は、戦の語り部として、日夜活動している。我々のいう「国士」である。
首里高校が戦後現在地に復活したとき、鉄血勤皇隊の生き残りや、外地から引き揚げてきた人、本土疎開していた人が、どっと入り込んで、首里高校第一期生は、実に多彩な顔ぶれであった。「南洋帰り」とか、「予科練帰り」とか、威風堂々とした髭面の上級生を前にすると、小生たち下級生はちじみ上がってしまうのだった。南洋帰りの野球選手たちが頑張って、全県高校野球で優勝したこともあった。本土の中学校で二年生の頃に帰ってきた小生を、桃原良謙先生(一中の化学担当教諭)と小生の親父が話し合って、一年に落として、ゆっくり高校生活を送らせたのは、得策であった。おかげで、昭和19年入学の最後の一中生として、本来なら首里高校三期生となるところ、四期生に組み込まれる始末。首里高4期生には、そのため、一期後輩の友人が少なくない。中でも、昭和20年、春、沖縄県立第一中学校の入学試験に合格して、晴れて一中の門を潜ろうと、勇んでいた生徒たちが、また、少なくなかった。その中に、吉嶺善一がいた。彼は一中の門を前にして、米軍上陸に会い、家族と共に、南部に落ち延びた。あとは、多くのウチナンチュと同じく、砲煙弾雨の中を、南へ、南へと逃れて、最後、摩文仁の丘のふもとで、辛うじて命を拾い、戦後を始めることになる。吉嶺の外にも、タッチの差で、一中入学を阻まれ、戦後の新制高校のトップランナーのコースを走ることになる「幻の一中生」が、小生の周りにいる。宮古の秀才児金城君。小生と医師会で同席するたんびに「俺達までを最後の一中生にしてくれんか」と、絡むのだ。
いま、オリンピックイヤーで、同期生会が色々なホテルで開催され、幹事が大忙しな様子。中には、豪華なホテルの大広間を予約するのに、その借用料金の徴収に四苦八苦する場面もあるという。一人¥5000徴収しても足が出ると嘆くクラス幹事もいるという。われわれ最後の一中生(一水会)は、毎月ささやかに割安の(八汐荘の)レストランでやっているので、会費の心配なく豪快にやっている。たった20名の生き残りだからクーグートゥグワー(小規模に)やれるが、数百名の同期生会だったらそうはいかないだろう。同情する。そこで考えた、いまわれわれ養秀園芸サークルが構想している「養秀植物園」では、百名内外の人数だったら、広場いっぱいにテーブルを並べて、オードブルかなんか取り寄せて、野外パーティーができるように、そんな植物園にしようないか、と、画策しているのです。もちろん、雨がふったら大変だが、そうなったら、会館の会議室かなんかに逃げ込んで継続すればいいし、最初から首里高校のテントを10セット張って置いて、やってもいい。とにかく、同窓会会館を活用してもらうよう、養秀植物園としても構想をたくましくしていることを、お伝えしておこう。
齢80を超すと、上下左右の知人・朋友の訃報が頻々と伝わってきて、年末には滅入ってしまいます。首里高校4期卒の名渡山愛拡、新崎庸貴も今年逝ってしまった。最後の一中生(昭和19年入学)の仲間も、与那嶺盛男、当山全俊、が、働き盛りのまま逝ってしまった。毎月第一水曜日に摸合いをやる一水会(最後の一中生の生き残り)20名も一人一人と消えていく寂しさ。でも一水会から天上に逝った連中も、あちら(天上)でクラス会を構成して、毎月集まっているということで、こちら(地上)の我々も「仰げば高し・・」を歌って頑張っているのだ。しばらくは、この地球に両足を踏ん張って、生きていこうと、みな意気込んでいる。毎月、天上の一水会からメモが届く。みなの衆、まだ昇天してはあかんぞえ。まだまだ賞味期限たっぷり残っとるぞ。「死者老いず、生者老いゆく憾みかな」。同窓生の皆様、励ましあっていこうぜ。
2004/06/22(火) 22:09
仲程みゆき
(
女)
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はじめまして!
私は首里高校出身ではない、普通の2児の母ですが、
書き込みさせて下さい。
ずーと「首里城下に蝶を翔ばそう会」を探してました。
オオゴマダラについての質問ですが.....
小学3年生の娘が 理科の授業で蝶の成長と観察をしています。
モンシロチョウを初め、いくつかの幼虫を育て無事蝶にかえす事ができました。
ラッキーな事にオオゴマダラの幼虫をもらう事ができましたが、
なかなか食草の蓬莱鏡がなく困ってます。どこからか手に入る方法は
ありませんか?
お忙しいところ すみませんが教えてもらえませんか?
一応 明日6/23 漫湖公園とロワジールに見学に行く予定です。
首里城下に蝶を繁殖させて乱舞させようという夢を追いつづけている心やさしい人が集まって、
できたのが表記の会です。会長高良鉄夫琉球大学名誉教授、副会長吉田朝啓、事務局長大城安弘
農学博士(沖縄総合事務局課長)。会員には教師、OL,医師、自由業、主婦、その他。
来る3月10日14:00時、首里城公園上の毛(元キリスト教短期大学)で、オオゴマダラ
など各種蝶の食草いろいろを植えるセレモニーと作業を行います。高良会長の挨拶、翁長市長
挨拶、呉屋首里城復元期成会会長挨拶、作業開始、終了。ボーイスカウトその他多くのボラン
ティアの参加が予定されていますが、同窓生の皆様の積極的なご参加を希望します。特に、子供
連れの家族ぐるみの応援を期待します。目下最長老。
先月からしばしば掲示板を活用するようになった通称「目下最長老」です。私の書き込みにたく
さんのメッセージがあり、その中に私のやってる様様なボランティア活動に関心をお持ちの同窓
の若手も大勢いらっしゃることを知り、ここに紹介して、できたらご参加願いたいとアピールす
るものです。①沖縄ボリビア協会(およそ50年前に琉球政府の計画移民として南米ボリビアの
ジャングルに移住した県民。現在およそ1万人の移住地社会を形成して農業・牧畜・その他各階
で活躍していますが、その移住地社会と提携して支援を続けている任意団体;会長玉木正邦以下
50名のボランティア、公務員、教員、医師、主婦、農家、青年男女などが仲良くボランティア
活動を20年間続けています)今年、3月17日(日)から2週間開催される沖展(浦添体育館)
の出口でテント2張りを置いて、チャリティーバザーをやります。そのチャリティーバザーの
現場に参加できるボランティアを募っています。勿論、入会も大歓迎。
ご希望であれば、ボリビア原産のすてきなグッズも手に入ります。)
②カンボジア沖縄友好の会。(10数年前に沖縄に研修に来た一人のカンボジア人医師を帰国後
も支援していこうと結成された任意団体。会長吉田朝啓以下およそ50名。現地に診療保健所を
建てたり、寄生虫ゼロ作戦を展開したり、一口ではいえない多彩な国際協力を続けていますが、
かつては、使用済みの上質紙で作ったノートや使い古しの鉛筆など学用品を現地の学童に送る
運動もやりましたが、いまは<諸般の事情で>中ゆくいの状態です。その<諸般の事情>という
のは、1)継続していたJICAの補助金が、今年中断していること。2)会員みんなが多忙で、
活動の中核となって引っ張る若手リーダーが少ないということ。
それで、どなたか、友好の会に飛び込んでみんなをまとめて引っ張っていってくれる人が養秀同
窓会の中から出てこないか、それを期待しているのです。因みに、上記沖縄ボリビア協会のチャ
リティーバザーと同時に同じテントでカンボジアの出品もあるので、そこへの応援も期待したい
のです。
【4】
4期の大先輩のご参加、おめでとうございます!
2002/02/01(金) 00:30
- ♪ 組
後輩M.T.
(
女)
<メール送信>
削除
超朗先輩の11期の末席に加えて頂いている後輩M.T.でございます。
取り急ぎ『おめでとうございますカキコ』をさせて頂きます。
4期の窓に鮮やかな“New”のマークが点滅している事に気づいた瞬間のこの驚き(失礼をお許しあれ!)と喜びを、なんと申し上げたらよいかわかりません。
『四木会』の皆々様の華やかなデビューを、心より楽しみにお待ち申し上げております。
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最終更新日 2024/05/06 17:21:31