沖縄県立首里高等学校 20期 掲示板
新しい記事を投稿する場合はこちらの
簡易版投稿ページ [
マルチメディア版 ?] から記事を入力してください。
沖縄県立首里高等学校 20期 掲示板 記事表示
一昨日のこの欄に、南米から小生がおよそ30年前に気まぐれに導入したマメ科の植物が、いま、沖縄どころか本土の園芸業界で評判になり、なんと、一鉢数千円の商品も出回っているという。うかつであった。こんな優れた素質の有用植物の潜在価値を見抜けないで、ほったらかして、本土の目敏い業者に実利を掻っ攫われるなんて。園芸が小生の本業ではないから、責められることはないが、延々50年近くも園芸を通じて郷土のために貢献しようなんて、大層な志を貫いていたつもりが、本土業者に出し抜かれるなんて。しかし、のんびり屋のウチナンチュは、似たようなぼんやりで、ヤマトンチュにしてやられる事態はしばしば耳にする。例えば、泡盛。アワモリというネイミングを本土の酒屋が登録商標しようとして、県内の酒屋が大慌てしたことがある。マンゴにしても、すでに宮崎がブランド化して、東京で一個数万円もする作品を売り出している。南米の熱帯花木「ジャカランダ(紫雲木)」も宮崎の並木で満開だし、その苗木でさえ、沖縄には譲らないという固執ぶりだ。ヌルントゥルンして、ウフトゥルバイしているうちに、利益は、すべてヤマトに持って行かれる傾向は、農作物以外にも、多くの分野でよくある話。
首里高校・養秀同窓会の最先輩の世代に「20会」というグループがあることは、もう大方御存知だろう。つまり、昭和20年3月(米軍上陸直前)に県立一中に在学していた一中生の生き残りが戦後結成した気鋭の反戦グループです。毎月20日に養秀会館に集まって、いろいろ話し合う。最近は、6月に建立された一中健児の像について、第二体目をどうするかという課題について、論議する予定。一方、その20会の最後尾に位置する「最後の一中生」が毎月開いている模合グループの会合は、第一水曜日(つまり昨日7日)に八潮荘で開かれる。すでに80歳を超えた後期高齢者だが、意気軒昂、エロ話や、健康問題、ときに校歌を歌い、応援歌をがなり、しんみりと物故した仲間の追憶に浸る。昭和19年(1944年)入学後、昭和20年の沖縄戦で散華するまでのたった一年余だが、共に過ごした青春の喜怒哀楽を年々濃縮させて、毎回雰囲気が濃密になっていく。ところが、20名以上いた会員が年々減り、いまや10名余。病床に伏す者、車を捨てて参加を断念する者、配偶者の介護に忙殺する者。いよいよ人生コースの第4コーナーを回って、ホームストレッチに入った感あり。「もう、なにがあってもたじろがない!!」という合言葉で、全員和気藹々と肩を組んで歩んでいる。
首里高校1期から19期までの投稿欄に(不法侵入?)して、養秀同窓会活動状況(特に会員の会費納入率がたった8%だという貧寒とした状況)について、納入キャンペーンを続けている80歳の老会員です。この欄では、小生が首里振興会の会長をしていた数年前に、振興会への参加を呼びかけ、協力を訴えたことが
ありましたが、全く反応がなく、すっかり拍子抜けをしました。久しぶりに開けてみたが、やはり貧寒として、ヒジュルカジが吹いているばかり。一体この世代はどうなっているんだろうと、書き込みの主題を忘れてしまうほど淋しい。千回を越える書き込みがある同期の欄があると思えば、全くゼロの欄もある。一中世代や首里高一桁世代なら、パソコンに不慣れな世代なので、沈黙も納得できるが・・・・。でも、空欄にお邪魔して書き込みをさせてもらえば、他の世代の同窓生が見てくれると思い、今まで連続して「全世代縦走の旅」を続けてきました。今回のテーマは、来年オープンする「養秀植物園」のこと。首里金城町の養秀同窓会会館敷地をユニークナ植物園にするという構想です。東南植物園とか海洋博記念公園などの大型に背比べしても敵わないので、こちらは、古都首里・県都那覇、故郷沖縄を緑化花いっぱいにするための、ITを駆使した、先駆的な、先導的な、教育的な小規模植物園にする構想です。
2008/01/07(月) 21:39
- 4期生 組
吉田朝啓
(
男)
<メール送信>
削除
私は、首里高校4期生(最後の一中生)で、20期生の皆さんとは直接関係はありませ
んが、現在、首里振興会の理事長をしていて、是非とも首里高校卒の皆さん(特に団塊
の世代といわれる60歳台の方々)にお力添えをお願いしたくて、この欄に飛び入りい
たしました。この数年の間に定年退職された年代はどのあたりだろうと、検討をつけて、
昭和20年頃の出生とみて、20期生をまず選んだわけです。これから順次近接の同期
生にもアピールしようと思います。首里振興会というのは、去年4月に元の首里文化祭
実行委員会を改めてスタートした首里の振興のために結集している有志の会です。
私も10年ほど前に65歳で県庁公務員医師を定年退職して、さてなにか世のため人の
ためになるようなボランティア活動でもやろうかと考えていたところ、前期の首里文化
祭実行委員会に仲間入りしたわけで、その後、首里振興会の理事長になってしまった、
というわけです。首里振興会は、首里地区の自治会連絡協議会が実質的な中核組織とな
って発展してきた団体で、秋の首里文化祭での古式行列など、琉球文化の数々を継承し
発展させてきた功績があります。しかし、新しく参加した私などの目からすると、いま
一つ食い足りないものを感じます。チンタラチンタラ伝統の古式行列を龍たん通りに展
開するだけで疲れてしまって、その他、首里でなければできないことや、首里振興会が
軸となってやり遂げなければならないことがたくさんありそうで、腹ふくるる思いをし
ているのです。もっと多くの人材を受け入れて多方面で振興会の活躍の場を広げたいと
現在模索しているところです。定年直後のみなさん、どうぞ首里振興会の柱となって、
礎となって、活躍してください。応答ねがいます。吉田朝啓。
最終更新日 2024/05/06 17:21:31